千本松原は沼津市千本浜公園から、富士市の田子の浦まで続いており、15kmを越える美しい黒松の林だ。増誉上人がお経を唱えながら一本一本植えたという、東海道随一の景勝地として有名。公園の入り口近くに増誉上人の像が立っている。



千本遠景

久しぶりの晴天の日、千本浜の堤防に立つ。見渡す限り、どこまでも続く松並木が見える。すごい!!  
先日、車でこの松並木の距離を測ったが、今日はなんと15km全部が見渡せるのだ。 絶景だ! やっぱり千本松原は沼津の誇りだ。あらためて、自然の素晴らしさと増誉上人の偉大さに敬服する
















増誉上人像


 松原の中には牧水の碑があり、近くには牧水記念館も建っている。
 若山牧水は近代の代表的歌人で多数の短歌を残している。
大正9年に千本浜の近くに移住し、昭和3年に43歳で永眠している。酒と旅をこよなく愛し、沼津千本の地を愛してやまなかった牧水を偲んで、昭和62年にオープンしたのだそうだ。千本浜の歌碑には「幾山河こえさりゆかば寂しさの はてなむ国ぞけふも旅ゆく」と書かれている。牧水の歌碑としては、全国で最初に建てられたものだそうだ。 




若山牧水の碑




 牧水記念館


 牧水の碑のすぐそばには、昭憲皇太后(明治天皇の皇后)の記念碑と歌碑がある。
 昭憲皇太后は沼津御用邸に毎年おいでになられたそうで、特に大正2年には7ヶ月間も沼津に滞在されたという。皇后は沼津をこよなく愛され、お忍びで、しばしば市内にも出かけられ、千本浜に行啓されたのを記念して御座所跡が設けられたそうだ。歌碑には、「くれぬまに沼津のさとにつきにけりしばしみてこむ海のけしきを」と書かれている。
沼津を愛した皇后のお気持ちが偲ばれる。




    

昭憲皇太后の記念碑と歌碑





井上靖の文学碑

少し離れた所に、井上靖の文学碑がある。青春時代を沼津で過ごした芥川賞作家の功績を称えて建てられたもので、碑には「千個の海のかけらが千本の松の間に挟まっていた少年の日 私は毎日それを一つずつ食べて育った」と書かれており、足元には彼の作品名がズラリと刻まれている。
とても落ち着いた雰囲気のする一角である。

長泉町にもビュッフェ美術館の脇に井上靖文学館があり、在りし日の井上靖の写真やパネル、生原稿や創作ノートなどが多数展示されている。高校時代によく読んだ井上靖は、沼津縁の小説家だったのだ。なんだか、とても満ち足りた、うれしい気分になってくる。


 松林の中を走っている細い舗装道路を越えたところに首塚がある。
戦国時代、武田勝頼と北条氏政との間で激しい戦いが行われ、特に天正八年(1580)の千本浜の合戦は激戦であった。その時の戦死者が葬られているのだそうだ。明治33年、嵐のときに松が倒れ、その根元から多数の人骨が出たのだそうで、その人骨が武田、北条の戦いの戦死者だったと言う。十代の若者が多く、皆深い刀傷を負っていたそうだ。

 

首塚 




      六代松の碑  
松原の中をさらに西へ進むと、六代松の碑がある。六代とは、平氏の第六代という意味で、平正盛から数えて平清盛が三代、平重盛、平維盛、平六代と続く。
平氏の嫡流であったが平氏滅亡の後、北条時政の捜索によって捕らえられた。鎌倉へ護送の途中、千本松原で処刑されようとした時に、文覚上人の助命嘆願によって処刑を免れその身柄は文覚に預けられた。
その後、六代は出家して妙覚と称していたが頼朝の死後処刑された。首は六代ゆかりの地である千本松原に葬られたとされる。


沼津市歴史民族資料館

 
沼津御用邸記念公園の中に沼津市歴史民俗資料館がある。沼津の漁業や農業、歴史・民俗について調査・研究が行われており、特に駿河湾の漁業について豊富な資料が展示されている。現在は、「歩いてみよう東海道」の企画展が行われており、沼津宿、原宿の史跡が紹介されている。