下石田の道祖神

傍示石のすぐ先で、国道1号線の旧道と新道が合流している。この合流点に久保川が交差している。久保川は、以前ここを黄瀬川が通っていた所で、大雨が降るとしばしば黄瀬川の本瀬になってしまったと言う。確かにこの辺りだけくぼんでいる。江戸時代、久保川の下流(狩野川
の合流地点)には水車があり、米麦を搗いていたそうだ。
合流点の右側にサイの神(道祖神)がある。このサイの神は道しるべであると共に、火からの守り神とされいるそうだ。
ところで、黒瀬橋のたもとにある平作地蔵と関係のある伊賀越え道中双六・沼津ノ段で、呉服屋十兵衛が平作の娘お米に一目ぼれしたのは、この道祖神の前だったようだ。

下石田通りの青木さん宅の前に、もうひとつ道祖神がある。道しるべであると共に、村に災厄の入るのを防ぐ守り神でもあるという(沼津むかしばなし)。どちらの道祖神も何時もきれいに掃除されており、供物や花が手向けられている。周りの人達の暖かい気持ちが嬉しい。
道祖神の角から北上する道は「みくりや道」と呼ばれていたが、南側の東海道まで通じたのは明治17年頃だそうだ。その下石田の信号辺りに高札場があったらしい。当時、キリシタン禁止の高札、火付け禁止の高札、博打禁止の高札が掲げられていたと言う。